青梅市の概要
青梅市は、都心から西へ50キロメートル、秩父多摩甲斐国立公園の玄関口に位置し、豊かな自然と伝統、文化に恵まれています。産業も盛んで、織物生産地として繁栄してきましたが、現在では、電気機械製造などの最先端技術を必要とする産業が集積し、首都圏のベッドタウンとして発達しています。また、圏央道青梅インターチェンジ周辺では、地域特性に応じた産業・流通の誘導を推進し、業務核都市として、商業や情報・文化などの多様な集積を図っています。近年では、圏央道の整備により、全国からのアクセスが便利になり、首都圏の人気日帰り観光地としての潜在的能力が大幅に向上しました。また、住環境の改良などで、人口は増加傾向にあります。
青梅のあゆみ
青梅地方は、多摩川および荒川水系の豊かな水に恵まれ、生活に適した地理的条件が整っており、早くから狩猟生活を中心とした集落が発達していました。河川の流域からは、旧石器時代・縄文時代の遺跡が数多く発見され、当時から既に多くの人が住んでいたことがわかっています。
弥生時代になると、霞川流域では稲作が行われ、東京でも最大規模の集落が形成されるようになりました。人々は農耕型の生活に移行しながら、奈良・平安時代を経て、集落がさらに拡大し続けました。
平安朝には、武蔵国府造営のための用材供給地としても集落が形成され、鎌倉時代のころから、土豪の三田氏が豊富な林産資源を背景に勢力をのばし、多摩川上流域を支配するようになりました。三田氏は、天寧寺・塩船観音寺・住吉神社・武蔵御嶽神社などの神社仏閣の創建再興に力を注ぐとともに、市場を設置するなど経済基盤の充実にも努め、永禄年間(1558年〜1569年)に、北条氏照に滅ぼされるまで、約300年に渡り、青梅地方に独自の文化を築き上げました。
北条氏が天正18年(1590年)に滅びると、徳川氏が関東に入国しました。やがて江戸開府を迎えると、青梅の大半は幕府の直轄地となりました。江戸の経済・文化の発展に伴って、青梅では、石灰・木材・織物などの産業が活況を極め、青梅地方一帯はさらに発展しました。多摩川の水運や、青梅街道の整備により、「江戸市場に最も近い産地」という優位性が発揮されたわけです。
このように発展した青梅を中心とした40ヶ村の村々は、明治22年(1889年)の市制町村制によって1町6ヶ村に統合され、明治27年(1894年)には立川・青梅間に鉄道が開通しました。そして、昭和26年(1951年)に青梅町・霞村・調布村が合併して「青梅市」が誕生しました。さらに、昭和30年(1955年)には、隣接する吉野・三田・小曾木・成木の4ヶ村が編入され、現在の市域となりました。現在は、まちの基幹産業だった織物業や林業は構造不況によって衰退し、往時をしのぶことはできませんが、工業団地造成による企業誘致や、観光資源の活用による新たなまちづくりが進められています。そして、西多摩の中核都市「青梅」の役割とその将来性は、圏央道青梅インターチェンジの開通により、にわかに高まりつつあります。
青梅の名前の由来
青梅の地名の起こりには諸説がありますが、最も市民の間で親しまれている説が、青梅・金剛寺の青梅伝説に発しています。金剛寺にあるこの梅は、古来「誓いの梅」と称し、平将門が自ら挿した梅であるといわれ、「我願い成るなら栄へ、成らぬなら枯れよ」と誓ったところ、その梅が根付き、梅の実が秋を経ても熟することなく青々したまま残ったところから、この地を「青梅」と呼ぶようになったといわれています。
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| 青梅の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
青梅市郷土博物館 |
| 住所: |
青梅市駒木町1-684 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0428-23-6859 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
毎週月曜日(この日が休日の場合は、最初の平日)、12月29日〜1月3日 |
| 入館料: |
無料 |
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